道徳・良心

概要
道徳は法律や規制と違って外から縛るものではなく、内から自分を正し律するものです。親や友人や周りの人からの言いつけごとや決まりごとを自分の内に取り入れた(内在化された)ものが道徳や良心です。それが強大化すると柔軟性がなくなり曲がったことも適当なこともできず、苦しさを感じることになります。生真面目や良心的すぎることでつらくなっている人や人間関係を悪くしている人はこうしたことが原因の一つです。

道徳の叩き込みすぎ
「これが正しい」とか「こうすべきだ」と言うのは、道徳の叩き込みすぎの結果です。あるいは「ああいうことは絶対に私はしない」というのも同じです。道徳の叩き込みすぎ(叩き込まれすぎ)のせいで、一方的な見方しかできなかったり、自分の考えに合わないものを排除しようとしたりなど、様々な考えやクセをもつ人々を受け入れることができなくなっていることがみられます。極端になると、道徳を盾に人や社会の非難や悪口ばかり言うようになっている場合もみられます。道徳を極端に主張することは相手にきつい印象・こわい印象を与え、相手を構えさせたり、萎縮させてしまいます。

良心的すぎる生き方
「良心的」であることは好ましい道徳性を表しますが、「良心的すぎる」ことは日々の生きづらさをつくりだします。厳しく研ぎ澄まされた良心が、他人への気づかい・配慮を増大させ、自分には自責感・罪悪感を生じさせます。


正論

概要
正論とは道理にかなった正しい意見や議論のことです。
正論はたしかに正しい意見なのですが、しかし、正しいことが常に正しいわけではありません。正論が問題となるのは、現実の状況や状態を無視した主張であったり、相手の気持ちを考慮しないでの意見であったりする場合です。いくら正論でも相手のことを考えていないものであれば、それは不快なものや害なものになります。

正論を言う自分を顧みる
正論ばかり言ってしまう場合は、ご自身を顧みることが大切です。
正論を言ってしまう理由を深く考えていくのです。そうすることによって、正論で相手を追い詰めていることに気がついてきます。